INTRODUCTION

少女の歌声は、なぜ沈黙に変わったのか ─── チェコを揺るがせた衝撃の事件。

共産主義体制が終わり、社会が少しずつ西側諸国へと開かれていった1990年代初頭。社会全体に自由の空気が満ち、希望と同時に無防備な欲望も膨らんでいた時代を背景に、『ブロークン・ヴォイス』はひとりの少女のまなざしを通して、「才能」「成功」そして「沈黙」がどのように結びつき、歪められていくのかを静かに、しかし深い痛みを伴って描き出す。物語の着想となったのは、日本でも公演を行い広く知られていたプラハの名門少年少女合唱団「バンビーニ・ディ・プラーガ」をめぐる実際の事件だ。同合唱団の指導者ボフミル・クリーンスキーは2004年、少女たちへの性的虐待容疑で逮捕され、1984年から2004年にかけて少なくとも49人が被害を受けていたことが明らかになった。

主人公は13歳の少女ヴァレリエ。彼女は、15歳の姉ルチエが所属する世界的に名高い少女合唱団への入団を果たす。ルチエはすでに“1軍”と呼ばれるコンサート・メンバーの一員だが、カロリーナはまだ補欠的な立場にある“2軍”の存在にすぎない。この合唱団は、チェコが「西側」へと門戸を開いていく時代の象徴でもあり、海外公演、とりわけ初のアメリカ・ツアーは、少女たちとその家族にとって夢そのものだった。 合唱団で絶対的な権力を握っているのが、35歳のカリスマ的指揮者ヴィーテク・マーハである。音楽的才能に恵まれた彼は、強権的で厳格な指導者である一方、どこか魅力的で人懐こい一面も併せ持ち、少女たちの憧れと恐れを同時に集める存在だ。アメリカ行きの20人を選抜するための雪山合宿に呼ばれたヴァレリエは、その天才的な歌唱力によって急速に頭角を現していく。

監督・脚本を手がけたのは、チェコ映画界の新鋭オンドジェイ・プロヴァズニーク。本作は彼にとって長編第二作目にあたる。監督は、この物語を最初から「告発」や「断罪」として描くことをあえて選ばない。カメラは一貫して、13歳のヴァレリエの視点に寄り添い、彼女が“選ばれる”ことに感じる喜びや誇らしさを丁寧にすくい取っていく。指揮者ヴィーテクに目をかけられ、特別扱いされることは、ヴァレリエにとって自分の価値が認められた証であり、大人の世界へ近づくための通過点のように映る。しかし、その親密さが何を意味するのかを、彼女自身はまだ理解できていない。

主人公ヴァレリエを演じたカテジナ・ファルブロヴァーは、これが初出演とは思えないほど、思春期の少女が抱える不安や高揚を繊細かつ力強く表現し、チェコ・ライオン賞主演女優賞を受賞。撮影当時、彼女自身も役と同じ13歳であり、劇中で歌われる楽曲はすべて本人による歌唱だ。映画内の合唱シーンはすべて撮影現場でライブ録音されており、少女たちの息づかいや緊張感が、そのまま音として刻み込まれている。指揮者ヴィーテクを演じるユライ・ロイは、魅力と恐怖が同時に立ち上がる存在感で、単純な「悪役」には回収できない権力者像を形づくる。

本作は、#MeToo以後の価値観をもって過去を断罪するための映画ではない。そうではなく、なぜ声を上げることができなかったのか、なぜ沈黙が長く続いてしまったのかを、ひとりの少女の経験の内側から静かに問い直す作品である。歌うこと──声を揃えること──を求められた少女たちは、気づかぬうちに自分自身の声を失っていく。その喪失の痛みは、決して過去に閉じ込められたものではない。美しいハーモニーの裏で、何が起きていたのか…これは告発の映画ではない。沈黙が生まれる瞬間を描いた映画だ。

STORY

美しいハーモニーの裏で、何が起きていたのか。

カンティチェラ少女合唱団――


「名門」と呼ばれ、入団希望が絶えないこの合唱団で、ヴァレリエはBチームに所属し、選抜チームの姉ルチエの背中を追っている。

ある日、稽古を終えた姉を待ちながら、ヴァレリエは練習室をのぞき見る。少女たちの歌声に、指揮者ヴィーテクの声が重なった瞬間、空気が変わる。

やがてヴィーテクはBチームの練習に現れ、ヴァレリエを指名する。
ひとりで歌い終えた彼女に、「ありがとう、それでいい」とだけ伝え去っていく。

春のアメリカ公演が発表され、会場は家族や関係者が集う。にぎやかな場に馴染めずにいるヴァレリエへ、ヴィーテクは「ソプラノだったね。悪くない」と声をかける。少し離れた場所では、ルチエが仲間たちと親しげに笑っていた。

その夜、ルチエは約束の門限の時間を過ぎて酔って帰宅する。どこか様子は荒れ、何かにひどく苛立つ彼女。父の迎えの車中でも、ルチエは口を閉ざした。父がヴィーテクに話を聞こうとすると、「行かないで」とだけ言う。ヴァレリエは、そのやり取りを黙って見ていた。

やがて海外ツアーを前に、選抜メンバーを決める雪山合宿が始まる。欠員の代役として呼ばれたヴァレリエに、ヴィーテクは楽譜を手渡し、「覚えなさい」と告げる…。

CAST

カテジナ・ファルブロヴァー(ヴァレリエ役)
Kateřina Falbrová

2009年、チェコ・オストラヴァ生まれ。本作で主人公ヴァレリエ役を演じ、一躍注目を集めた。本作で彼女が演じるのは、姉に憧れながら名門少女合唱団へ入団し、才能を認められる喜びと、言葉にできない違和感との狭間で揺れ動く13歳の少女。憧れ、嫉妬、誇らしさ、不安、戸惑い──思春期特有の複雑な感情を、説明的な演技に頼ることなく、繊細な表情とまなざしの変化だけで鮮やかに体現した。 とりわけ印象的なのは、その豊かな瞳が映し出す感情の揺らぎだ。指揮者に“選ばれる”ことへの高揚と誇り、その親密さに潜む危うさへの無意識の戸惑いを、あまりに自然な存在感で演じ切り、観客を少女の内面へと深く引き込む。

ユライ・ロイ(ヴィーテク役)
Juraj Loj

1984年、スロバキア・ブラチスラヴァ生まれ。スロバキアを代表する実力派俳優のひとり。幼少期は心理学者の父のもとを離れ、祖父母とともに地方の村ヴィシュトゥクで育つ。もともとは絵画に強い関心を持ち、美術系進学を志していたが叶わず、その後、ブラチスラヴァ舞台芸術アカデミー(VŠMU)で演技を学んだ。 卒業後はニトラのアンドレイ・バガル劇場(DAB)、アレーナ劇場などで舞台俳優として経験を重ね、2024年からはスロバキア国立劇場(SND)演劇部門の正式メンバーとして活動。舞台で培われた緻密な人物造形と存在感で高い評価を受けている。

マヤ・キンテラ(ルチエ役)
Maya Kintera

2007年、プラハ生まれ。彫刻家・現代美術家として国際的に知られるクリシュトフ・キンテラを父に、舞台プロデューサー/作家のデニサ・ヴァーツラヴォヴァーを母に持つ芸術一家に育つ。幼少期から体操に打ち込み、妹エマとともに8年間、芸術学校の演劇クラスに通いながら、サマーキャンプでは創作演劇にも取り組んだ。2025年時点では、ヴァーツラフ・ホラール芸術高校でグラフィックデザインを学んでいる。 映画デビューは、アリツェ・ネリス監督作『Buko』(2022)。本作では、主人公カロリーナの姉ルチエ役を演じ、その印象的な存在感で高い評価を受けた。

STAFF

監督・脚本:オンドジェイ・プロヴァズニーク 
Ondřej Provazník

1978年、プラハ生まれ。チェコ映画界でいま最も注目される新世代の映画監督・脚本家のひとり。2007年の長編ドキュメンタリー『Poustevna, das ist Paradies!』は、イフラヴァ国際ドキュメンタリー映画祭グランプリを受賞し、大きな注目を集めた。その後、共同監督・脚本による長編劇映画『Staříci(Old-Timers)』(2019)では、老いた元政治犯たちの復讐の旅を静かなユーモアと深い哀しみを交えて描き、チェコ・ライオン賞2部門受賞、チェコ映画批評家賞3部門受賞という高い評価を得ている。さらに脚本家としても、『Dáma a král』『Mamon』『Letiště』『Doktor Martin』など数々のテレビシリーズに参加し、人物描写に優れたストーリーテリングの才能を磨いてきた。 2025年、本作で監督・脚本による長編映画を発表。本作は第59回カルロヴィ・ヴァリ国際映画祭でプレミア上映され、チェコ映画界の期待を集める重要作となった。

 

撮影:ルカーシュ・ミロタ
Lukáš Milota

チェコ映画界で注目を集める若手撮影監督・写真家。2013年、プラハ芸術アカデミー映画テレビ学部(FAMU)を卒業。学生時代には日本のKyoto Filmmakers Labやブダペストで研鑽を積み、国際的な映画制作の現場経験を重ねながら、独自の映像感覚を磨いてきた。ドキュメンタリーから劇映画まで幅広く手がけ、現在ではチェコ映画界を牽引する有望な撮影監督のひとりとして高く評価されている。

COMMENTS

美しい歌声の奥に潜む、静かな支配。権力の濫用を繊細かつ鋭く描いたチェコ映画の傑作
─── VARIETY

静かに忍び寄り、深く揺さぶる
─── HOLLYWOOD REPORTER

少女の心が揺らぐ、その瞬間から目が離せない。繊細に紡がれた心理ドラマ
─── THE SCREEN DAILY

少女の憧れが揺らぎ始める、その瞬間を見逃さない
─── THE WRAP

その歌声の美しさが、やがて痛みに変わっていく
─── COLLIDER

静かに始まり、深く心を揺さぶる。忘れがたい一本
─── CINEUROPA

< 公開にあたってのお知らせ >

映画『ブロークン・ヴォイス』の上映にあたり、本作の主要製作会社である endorfilm s.r.o. より、以下の声明を掲載するよう要請がありました。 本作は実際に起きた出来事から着想を得たフィクション作品ですが、その制作過程に関して、関係者への配慮を示すため、製作会社の意向により本声明を掲載しております。

「本作の主要製作会社であるendorfilm s.r.o.は、カロリーナ・R氏に対し、バンビーニ・ディ・プラーガ合唱団での活動に関する彼女の個人的な体験の一部が、本作の女性主人公の描写に用いられたこと、ならびに、本作の映画化によって、有罪判決を受けたボフミル・クリンスキーの被害者として彼女が負った心理的トラウマを再び想起させることになったことについて、ここにお詫び申し上げます。」

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